江別市立病院の役割とあり方を検討する委員会(第1回)

江別市立病院が担うべき医療、診療体制、経営改善などについて検討し市長に答申を行う「江別市立病院の役割とあり方を検討する委員会」の第1回会議が8/16に開かれました。
現在、経営危機に陥っている市立病院の今後の行く末を決めることになる委員会と言っても良いものです。

 

委員会メンバーは市民公募委員と有識者の13名で構成されています(江別医師会・北海道看護協会・札幌薬剤師会江別支部からのそれぞれの代表、北大病院前院長、民間医療法人理事長、北大公共政策大学院客員教授、公認会計士、連合江別地区会長、江別保健所長、自治会と消費者協会の代表、市民公募2名)。

 

委員長はこれまでも市立病院経営健全化評価委員を務めて頂いており、西岡病院の理事長であり全日本病院協会前会長でもある西澤寛俊氏、副委員長は時計台記念病院院長・北大病院前院長の寳金清博氏が選出されています。

 

第1回会議では、江別市立病院の概況等の説明と協議の進め方について協議が行われました。
今後の協議について、市立病院のあり方を検討するためには、市内の医療需給を確認し地域の医療体制をどのように提供するのかを検討した上で、その中で市立病院がどこまでの役割を担うのかを協議する必要があるなどの意見が出されました。

 

現在のところ、事務局案としては、9月に地域医療の現状、10月に市立病院が担うべき医療に関する事項、11月に市立病院の診療体制に関する事項、12月に市立病院の経営改善に関する事項、1月に答申書の検討・取りまとめ、2月に答申の提出ということになっておりますが、協議内容は委員の意見により変更される可能性もあります。

 

第1回委員会資料はこちらから(zipファイルです)。


市立病院経営問題 再び内科医不足へ

専門にとらわれすぎない総合内科医を育てる病院として病院再建のモデルとまで言われたこともあった江別市立病院ですが、2016年以降、看板であった総合内科医の退職が相次ぎ、再び内科医が不足する事態となっています。医師の不足に伴い患者数が減少し、2018年10月からは1病棟50床の休止を余儀なくされるなど経営状況も悪化しています。

 

現在に至るまでのここ数年の動きを見てみます。

尚、2018年から市議会の委員会議事録が公開されましたので、その議事録を参考にしています

 

2016年8月、それまで再建当初から市立病院の総合内科医の育成・研修の中心的な役割を担っていた指導医の医師が退職されました。業界内で有名であった指導医の退職は市立病院の総合内科を養成するプログラムの魅力を低下させる事態となりました。
結果として、2016年4月に23名いた総合内科医は、1年後の2017年4月に13名にまで大幅に減少してしまいます。2017年以降、市立病院の総合内科医養成プログラムに新たに参加する後期研修医がいなくなり、医師のマンパワーが大きく不足することになりました。

これまで市立病院の総合内科は大学の医局に頼らず独自に医師を招聘してきましたが、2016年以降、総合内科医の退職が続いており、2019年1月時点で総合内科医は6名となってしまいました。総合内科医を育てる病院としての魅力は指導医の魅力であったと言え、今後、これまでのように総合内科医を充足させることは非常に難しい状況です。


一方、大学医局からの内科専門医の派遣は病院再建の過程において常に課題としてあがっていました。再建の看板として総合内科を掲げていたものの、病院の規模と診療単価を考慮すると内科専門医は欠かせないと考えられていたからです。

市としては大学医局との関係を構築し、医局から医師の派遣を受けるため、2018年3月に退職される病院長の後任として内科系の医局からの院長招聘を模索しましたががかないませんでした。
そこで以前から消化器外科の医師の派遣を受けている外科系の医局出身の医師に院長に就任頂き、消化器外科と繋がりの深い消化器内科の医師の派遣に繋げようというのが現在の市の考え方です。
これまでのところ常勤医の派遣には至っておらず、市の思惑通り進むのか否かは予断を許さない状況です。


経営面をみますと、総合内科医の退職に伴い、市立病院の経営状態は悪化の一途をたどっています。累積赤字は100億円に達しようとしておりますが、病院運営上より大きな問題は手持ちの資金の不足を表している不良債務と一時借入金です。2016年度以降不良債務が再発生しており、2018年度末の不良債務額は10億4732万、銀行からの一時借入金は20億円に達し、2018年度末に急遽、市の一般会計から6億円の貸し出しを行い資金不足をしのごうとしています。

医師確保が期待通りに進まず、収益も計画通りに上がらない状態が続くと、不良債務と一時借入金が更に膨らむことになり、市の財政全体への影響も避けられないと考えられます。


その他の動きとしては、市民団体から市立病院の経営健全化についての陳情が2017年3月に市議会に提出されたことがあげられます。経営形態変更の具体的な検討を求める内容で採択はなされませんでしたが、この陳情を契機として2017年6月に市議会の中に市立病院・地域医療検討特別委員会が設置されることなりました。ここ最近は市立病院問題に関連して、市議会の委員会(特別委員会を含め)の場に市長の出席を要請し質疑を行うケースが増えており、病院問題がクローズアップされています。


一連の記事で過去からの市立病院の経緯を振り返ってきましたが、市立病院の経営問題は常に市政の課題として取り上げられてきた歴史がありました。一自治体による病院経営は鬼門と言わざるを得ないほどに苦労の連続です。仮に一時的に危機を乗り越えることができたとしても、歴史の教訓から学ぶべきことは多いのではないでしょうか。

 


市立病院経営問題 総合内科医を育てる病院へ

2006年9月末に内科医がゼロになった市立病院、再建の道はどこにあるのか。
その後の取り組みを振り返ります。

今回も、参考とする資料は、市議会議事録に加え、前院長である梶井直文氏の書かれた『医療再生はこの病院・地域に学べ! 第四章 内科医ゼロから再生までの軌跡』洋泉社などです。

 

小児科医であり院長代行を務めていた梶井氏が院長に就任したのが2006年11月、内科医を確保するために各地を奔走する中、僻地医療を担うことを理念としている自治医科大学出身の医師から協力を得られることとなります。

 

関連病院からの医師派遣に始まり、2007年度からは阿部前副院長を始め複数名の自治医科大学出身の医師が市立病院に勤務することとなり、専門にとらわれ過ぎない診療に目を向けていくことになります。
2007年11月には札幌医大の地域医療総合医学講座との繋がりもできるようになり、総合診療の研修を行う関連病院にもなりました。

 

このような取り組みの中で、大病院とは言えない地域の中核病院では、専門医を集めるよりも総合内科医を多く集めた方がより多くの力を発揮でき幅広い診療ができるのではないかと考えるようになり、総合内科が病院再建の柱となっていきます。

 

2008年4月には総合内科を新たに診療科として標ぼうし、医師も更に確保、閉鎖していた2つの病棟が再開されました。その後、毎年のように医師は増え続けます。特に、地域医療に関心のある初期研修医や総合内科を目指す医師が集まるようになり、2011年頃には内科医退職以前の医師数を上回りました。また、2012年には栗山などへ医師を派遣するようになり、道内各地から医師派遣の要請を受けるなど、道内で一自治体病院以上の役割を発揮していくようになります。
総合内科医を中心として医師確保に成功、2013年度には経常利益を出すことができ、病院再建のモデルとして知られるようになったのでした。


このように医師確保の点では大きな成功例と言われる結果を出していましたが、市民サイドからの市立病院への理解と評価は必ずしも全てが順調とは言えない面もありました。
先ずは、世間の専門医志向が強くなる中、総合内科という診療科への理解がなかなか深まりませんでした。また、若い研修医が多く、医師の研修にも力を入れていたため、市民からみると若い医師の経験不足や医師が数年で変わることを心配する声もありました。更に、手軽に外来で見てもらいたいという希望も多く、急性期病院としての機能がなかなか市民に理解されないということもありました。
結果として、患者数の回復は想定通りには進まず、医師数から期待される病床利用率にはなかなか届かないということになっていました。


一方、経営面では常に苦しい状態が続いていました。不良債務を減らすため計画上はかなり無理と思える数字を作らざるを得ず、常に計画よりは実績が下回る収益状況となっていました。また、医師が増え収益が伸びてもその分費用も伸びるため、収支の均衡は常に難しい状況でありました。
更に、市の一般会計からの繰入金は約14億円まで増えていくことになり、基準外の繰入は決して多額な訳ではありませんでしたが、それでも病院の赤字と繰入金を問題視する声は少なからず出ておりました。


再建の取り組みは以上のような状況でしたが、民間で不採算になる医療を市としてしっかり守っていくという方向性は一定の理解を得ており、2006年以降常に市政上の大きな課題であった病院問題は2015年頃には比較的落ち着いていたものになっていました。
経営再建のモデルとまで言われた市立病院が、その後、わずか数年でまた内科医不足に陥ると予想していた人はほとんどいなかったと思われますが、危機は再燃することになります。

 

つづく

 


江別市立病院シンポジウムメモ2019年1月21日

2019年(平成31年)1月21日に江別市立病院のシンポジウムが開かれ参加してきましたので内容を簡単にメモしておきます。

あくまで岡のメモした内容と記憶に基づくもので、発言者の発言の内容が一字一句正確な訳ではない点はご理解ください。

 

「江別市立病院シンポジウム」

〜今後の江別市の地域医療を守るために市立病院は何をしていくか〜

出席者

江別市立病院経営健全化評価委員長 西澤寛俊氏、同委員 樋口春美氏

江別市立病院院長 富山光広氏、三好市長

 

※ 江別市立病院経営健全化評価委員会は2008年に設置された市立病院の経営状況についてアドバイスを行う機関です。年に2から3回開催されています。

 

1. 市立病院の現状報告

司会の病院事務長より配布資料に基づいての説明。市の年齢別人口割合の推移と将来予測、市内医療機関の診療科目、市立病院医師数の状況、現在の診療収益の状況、病院事業収益と費用・経常収支比率の推移などについて説明がありました。

 

2. 出席者からの意見

富山院長:地域医療を守るために市民からどのような意見・要望があるのかを伺い、それを実現するために市立病院が何をすればよいかを考えていきたい。市内医療機関との役割分担も考えていかなくてはいけない。2040年に高齢人口がピークを迎えたときに、札幌の医療機関が急性期の患者の全てを受け入れられない状況となるのではないかと危惧している。

 

西澤委員長:医師の働き方改革が求められる時代になっており、より多くの医師配置が必要となるが、地方ではますます医師不足が進むと考えられる。救急・小児・周産期医療が公立病院に求められるが、医師確保は更に大変になっていく。

 

樋口委員:これからの時代には地域で活動する看護師の大幅増が必要である。市立病院は病院と在宅をつなぐ看護に行うべく努力している。

 

三好市長:市立病院は不採算医療に関わる対応が必要である。市の支援と経営安定のどちらも重要である。2040年の医療需要を見据え、市立病院がどのような体制をつくるかが大事である。

 

3.質疑応答

Q1:現在の赤字続きの経営状況についての評価委員の意見は?

西澤委員長:公立病院は無理に黒字である必要はない。今後の医療需要にどう対応するか、公立病院として市民の健康をどう守っていくかの視点が大事である。赤字額の数字だけではないことを理解して欲しい。

 

Q2:これまで策定した改革プラン中の計画や評価委員会からの提言を実施していないのでは?

三好市長:先ずは医師確保を最優先に実行してきた。改革プランにあった経営形態見直しについても検討しているが、負債の整理が必要など慎重な対応が必要で今現在では難しく、結論には至っていない。

西澤委員長:医師確保は常に課題だが原因は市立病院ではない。確かに全て上手くいっているわけではないが、一部やっている部分はあり、職員は努力している。

 

Q3:国保のレセプト分析を行い市民がどの医療機関に通っているなどの調査を行ったらどうか?

三好市長:データの分析が必要との意見はその通りであり、どういう形でできるか調べる。

 

Q4:診療科別収支の資料がなぜ公開されないのか?

富山院長:不採算を担っている公立病院の意味を考えると公開することに危惧を感じている。収支だけを見られると地域医療はもたない。医師のモチベーションにも影響する。

 

Q5:市立病院のあり方について今後も市民の声を聴く体制づくりは?

三好市長:今回のような場を設けて良かったという声を聴いているので、どのような形でできるか検討していきたい。

 

その他意見

・医師確保が難しいと言われても一般市民は分からない。今の経営状況だと市立病院を残すか残さないかの判断も必要。

・赤字経営の先送りをしていると問題が大きくなるだけである。夕張の財政破綻の教訓を活かすべき。

・人事のために医師が辞めているという噂がある。院内内部の噂のことは分からないが、なぜ医師が辞めるのかを重点に考えてほしい。地域医療を守る前に市立病院を守る必要がある。現場の医師にプライドを持ってもらい、魅力ある病院になって欲しい。

・地元の開業医だが、市立病院への不信感を持つような事例があった。市民が赤字を納得していないのも市立病院への信頼が不足しているからである。現場の医師の努力不足を感じる。

・札幌の看護師だが、市立病院は当別や南空知からの患者も受け入れている。江別で救急を受けられる体制を残して欲しい。

 

4. 出席者まとめコメント

院長:内科医師以外は充実してきている部分があるが、内科医師の確保にこれからも努めていく。

三好市長:様々なご意見を頂いたので、どのような形で今後進めていくべきか検討していきたい。

 

 

感想:

このような市民に対する説明会は質疑応答で紛糾するケースも多いですが、厳しい意見は出ていたものの、声を荒げるような場面は少なく、比較的、冷静に議論が出来ていたように感じました(当たり前ですがどのような場面でも相手を尊重して議論することが大事です)。

不採算の地域医療を守る、将来の医療需要に備えるということで直近の経営状態ではない部分の議論をしたい出席者側と、目の前の経営問題をどうするのかということを議論したい多くの参加者側とで若干意識のズレがありました。

専門医を充実させる総合病院としても上手くいかず、総合内科医を育てる病院としても先行きが不透明な現在の状況で、市立病院の特色として今後どのような形を打ち出すのか、また、現状の状態が続いた場合どこまで市の財政上耐えられるか、医師確保が上手くいかない場合の代替プランなどについて聞きたかったところではありますが、そこまでの議論にはなりませんでした。

また、累積赤字の金額が注目されがちですが、公立病院の場合、経営上より重要なのは不良債務の金額である点を議論の前提として理解いただく必要があります(累積赤字は自己資本金と相殺できるが、不良債務は手持ちの現金の不足なので)。

 


江別市立病院の経営問題その前夜

不良債務が再び発生し経営状態が悪化している江別市立病院ですが、今回は1998年の新病院開設から2006年の内科医総退職までを振り返ります。

参考とする資料は、市議会議事録に加え、前院長である梶井直文氏の書かれた『医療再生はこの病院・地域に学べ! 第四章 内科医ゼロから再生までの軌跡』洋泉社、平成18年の江別市立病院あり方検討委員会議事録などです。

 

1998年(平成10年)12月に建て替えにより現在の病院がオープンし、名称も市立江別総合病院から「江別市立病院」に改称されます。

 

病院建て替えに伴いそれまでまとめて「内科」と標ぼうされていた診療科が、「循環器内科」「消化器内科」などの4つの専門科目に分けられました。専門医を受診したいという患者の要望は強く、建て替え前まで1200人程度だった1日当たり外来患者数が建て替え後には一気に1600人にまで増えます。入院も満床状態が続き、1999年度から2001年度の3年間は入院外来合わせた1日当たり患者数が1900人を超え、市立病院の歴史の中でも最も多くの患者が訪れた時期となりました。当時を思い起こして、市立病院が非常に混んでいたご記憶のある方も少なからずいらっしゃるかと思います。

 

しかしながら、病院の建て替えによる内科の専門科目の標ぼうは、その後の内科医一斉退職の要因となっていきます。先ず、全体の医師数はそれほど変わらない中、各診療科が少人数体制となることで医師の負担が増えていくことになりました。外来患者数は急増していましたが、ベッド数から見ても明らかに多すぎる外来患者数を引き受けていました。また、それまで市立病院の内科医の医師派遣は北海道大学の1つの医局に頼り切っていましたが、大学の体制が変更となり1つの医局から全ての専門科目の医師を派遣することが難しくなっていく流れがありました。加えて、2004年から臨床研修医制度が始まったことで、北海道内の大学が医師を派遣できる余地が大幅に減少することになりますが、市はこれらの医療環境の変化を深刻に受け止めておりませんでした。

 

一方、経営面では患者数が増加したことで収益は上がりましたが、病院建て替えによる投資も大きく減価償却費がかさんでいたため、収支は赤字に陥ります。当初計画では建て替え後5年での収支均衡を目指していたものの、赤字は続き収支均衡の目標年度は後ろ倒しされていきました。毎年、赤字が続くと累積赤字が膨らんでいくことになり、累積赤字額30億円と新聞報道がなされ、市議会でも取り上げられます。しかしながら、減価償却前の黒字は達成できており不良債務が発生しているわけではなく、病院の運営上は支障がない状態であり、忙しく働いている現場の医師にとっては市民サイドの理解が乏しいのではないかと思える状況が発生していました。

 

このような状況の中、2005年度末に退職した医師を大学医局からの派遣で確保することができなくなります。加えて内科の専門医の中心だった医師も専門医の医局からの派遣が難しい状況になっていることなどから2006年中に開業することとなり、一気に残った医師への負担が重くなり、2006年9月末には遂に内科医がゼロとなってしまったのです。

 

華々しくオープンした新病院でしたが10年もたずに危機に陥ることとなりました。

計画当初とは大きく異なることとなった2000年代の医療環境の激しい変化に市が対応できなかったと言うことができると思います。

次回は、内科医一斉退職から総合内科医を中心とした病院として再建していく過程を取り上げます。

 

つづく。


江別市立病院の経営問題その前史

平成30年8月25日、北海道新聞江別面にて江別市立病院が平成30年10月から一部病床50床の休止が報道されました。

その後、市立病院の経営問題に関する報道が、北海道新聞に加えて、平成30年11月22日HBC『今日ドキッ!』や『財界さっぽろ2019年1月号』と相次いでいます。
平成18年に内科医が一斉退職し経営危機に陥り、その後、経営改善に取り組んできた市立病院ですが、残念ながら再び経営危機に見舞われる事態となっています。

 

実は、市立病院の経営問題は昔から少なからず江別市の課題として取り上げられてきた経緯があります。
この記事では、江別市史と市議会議事録から簡単にこれまでの市立病院を振り返ります。

 

昭和23年2月、国立札幌病院付属江別診療所(病床20床)として開設された診療所が事の始まりです。
鉄道事情が良くなかった当時、札幌まで通うのが大変な町民のために江別町が誘致したものでした。
しかしわずか数年で、町への移管か廃止の選択を迫られます。国立診療所が閉鎖する原因は施設の貧困による赤字とのことで、スタート当初から赤字問題に直面しているのが、その後の行く末を暗示しているようです。
昭和26年、町は町議会に諮り議会は調査委員会を設置して協議、町への移管が決定されます(議会が決定しているところが興味深いです)。昭和26年4月に江別町立病院となり、その後4か年計画で病棟を新築し、病床数216、診療科7科の病院となりました。
市立病院HPの沿革によると、昭和29年7月に市政施行に伴い、市立江別国民健康保険病院と改称、昭和32年7月には市立江別総合病院と改称されています。

 

時は流れ、昭和40年代、市政上の課題として病院の累積赤字問題が取り上げられるようになります。
昭和53年には病院事業再建実施計画が策定されますが赤字解消とはならず、遂に昭和56年2月に国の指導・監督のもと再建を行う準用再建制度が適用されることとなりました。
準用再建計画による再建は昭和55年度から昭和61年度までの7年間続くことになります。計画スタート時の不良債務18億円、累積赤字22.8億円に対して、再建計画終了後に不良債務は解消できましたが、累積赤字額は9.6億円残る結果となりました。

 

その後、時代は平成に入り、市立病院の建て替えが議論に上ることとなります。

平成0年代の市立病院経営は年度によって黒字を出す年もあり、建て替え直前の平成9年度には累積赤字額は6.8億円にまで減少していました。一方、当時は江別の全ての計画が人口15万を目指した方向を向いていた時代でもありました。

平成6年に病院建て替えの基本設計が予算措置され、平成8年に着工、平成10年12月に新病院がオープン、現在の「江別市立病院」に名称も改称されることとなります。

 

100億円をかけた恐らく今現在でも江別で一番豪華な建物が建てられ、新病院には誰もが明るい未来を期待していたと思います。

 

つづく。

 


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