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福島での研修会と視察

 7/13-15にかけて全国若手市議会議員の会の研修会として福島県を訪問しました。原発事故発生以降、昨年まで警戒区域として原則立入りが禁止されていた区域であった浪江町への視察も行うことができました。


○いわき市
 いわき市を訪問し、昨年市長に就任された清水敏男市長からお話を伺いました。清水市長は、全国若手市議会議員の会の設立メンバーで初代会長ということもあり、震災直後の様子など様々なお話を伺うことができました。
 いわき市は中心部である平地区が福島第一原発から40-50kmの距離であり、30km圏内に屋内退避指示が広がった時点で、多くの住民がいわき市から避難された。街はゴーストタウンのようになり、市長も死を覚悟されたというほどの緊迫感があったとのことです。
 当時福島県議であった清水市長は、出来る範囲で炊き出しや物資の配布などを行ったとのことですが、行政は非常時でも平等・公平の原則によって動きを止めてしまうことがあるためボランティアとの連携が重要である点や、また、現場の市町村と市町村を補完すべき県との連携が機能しづらい課題などを指摘されました。
 現在、いわき市には原発避難区域から2万4千人ほどの住民が避難しており、避難が長引いている現状では、避難されている方々と元々の住民との間で様々な軋轢が生じていることもあるとのことです。


○開沼博氏講演
 今回の研修内容の1つとして、原発事故以前の福島の状況を描いている「フクシマ論」の著者で現在、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員である開沼博氏に講演をお願いしました。なぜ地方が原発を受け入れるのかなど中央と地方の関係を上手く捉えておられ、是非一度お話を伺いたかった方です。
 事故以前の福島の原発周辺では、お土産として原子力最中があったりアトム○○というお店があったりなど原子力がブランドだったという事を当時の写真でご説明頂きました。また、中央からみると原発の推進も反対も他人事であったと言えるということです。
 今回の事故に関しても、世間は大騒ぎをしているが、一時期の狂騒が収まると結局は忘れていき、社会は変わらないという、忘却のループと社会の変わらなさというお話は非常に印象的でした。
 また、福島の復興に関しての話題では、生活・コミュニティは再建されておらず、ハード面の復興からソフトの復興となってきていることによる難しさ、科学的解決だけではなく不合理も理解する社会的解決が必要といった点についてもお話し頂きました。

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1950年代の新聞記事。原子力が夢のエネルギーの時代です。


○伊達市小国地区
 伊達市議会の菅野喜明議員に案内頂き、伊達市の小国地区を視察しました。伊達市の小国地区は、一昨年まで特定避難勧奨地点が指定されていた地区です。特定避難勧奨地点というのは、警戒区域以外においても放射線量の高い地域が存在することから住居単位で指定され、指定を受けると東電による補償や税制優遇措置が受けられるというものです。問題は住居単位で指定されるということで、同じ敷地の2世帯でも片方のみの指定となったり、三軒の並びで真ん中が指定されなかったりと選定基準がばらばらであったということです。このため人間関係が非常に難しくなり、地域においてお祭りができなくなるなど地域コミュニティが大きく損なわれたということでした。
 伊達市小国地区は原発から50-60km圏内ということで事故当初は全く放射能の問題は気にしていなかったそうです。今回、線量計を確認しながらの視察となりましたが、伊達市小国地区と浪江町の避難指示解除準備区域(原発から6km程度)の線量はほとんど変わらず、単純に距離の問題ではなく放射性物質がどのような方向に飛ぶかが問題であることを実感しました。

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伊達市内中心部での放射線量(車中)。単位はマイクロシーベルト毎時。札幌の7月の観測地は0.03〜0.07程度。


○浪江町
 原発は立地していませんが、原発事故により全町避難となったのが浪江町です。昨年、警戒区域の見直しが行われ、現在は、早期帰還に向け復旧や除染事業などの環境整備を行う避難指示解除準備区域、立入りは制限されないが不要不急の立入りはなるべく控える居住制限区域、立入りが制限され一時立入りの際は防護服やマスクが必要な帰還困難区域に再編されています。
 津波による被害も大きいものがありましたが、長らく立入りが制限されていたため、ガレキの処理や除染が現在進行形で進められています。
 震災以降、役場機能は内陸側の二本松市に移転しており、また、住民は全国各地に避難されているため、復興に向けた住民の意見集約などにも多大な苦労があるとのことでした。

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現在の浪江町役場。帰町準備室や復旧事業課などいくつかの部署が入っています。

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津波の被害を受けた浪江町請戸地区。
福島第一原子力発電所の排気筒が見える距離にあります。

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川俣町。町内至るところで除染作業中ののぼりが立っており、あちこちに黒い除染袋が積まれています。


 一連の視察を通して、原発事故というものが広大な範囲が立入りすらできなくなるという通常の災害とは全く違った形で影響を与えるものであるということ、見えない放射線量というものが大変やっかいなものであるということ、災害時及び復興時に地域コミュニティというのが大変重要であるということに改めて気づかされることとなりました。


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