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福島での研修会と視察2016

 4/21-22にかけて全国若手市議会議員の会の研修・視察として、福島県郡山市と富岡町を訪問しました。震災後4回目の福島県訪問となりますが、今回初めて防護服を着て帰宅困難区域(放射線量が非常に高いレベルにあることから避難を求めている区域)に入ることになりました。

1. いわき明星大学・高木竜輔准教授の講演

 「東日本大震災の社会学-震災5年目の課題-」というテーマでいわき明星大学・高木竜輔准教授にご講演頂きました。高木先生は社会学者として原発被災地の自治体・避難者・商業者などへの聞き取り調査などに関わられています。
 2012年に避難指示解除となった広野町に事例をご紹介頂きました。震災当時の人口は約5400人、2016年2月現在で2420人の帰還者数となっており、避難指示解除から3年半が経っても多くの住民が帰っていません。一方、町内には原発復旧作業員が3500人から4000人生活しており、町内は原発事故の収束作業の拠点となっています。商業者の事業者再開状況は、建設業や飲食業で再開率が高いなど原発事故収束のための拠点になったことによる影響が大きく出ています。また、原発事故収束のための拠点になったことにより様々な問題も発生しており、震災前のまちに戻ることの難しさが浮き彫りになっています。住民が戻るには単独の自治体のみで考えるだけではなく、この地域の中心であった富岡町や浪江町の生活インフラ機能が戻る必要があり広域で考える必要があるとのことでした。
 「地域社会が壊れるのは一瞬であるが、再生には非常に時間がかかる。」

2. 富岡町菅野利行産業振興課長の講演

 「富岡町の役割と復興への軌跡」というテーマで、 福島県富岡町の菅野利行産業振興課長のご講演頂きました。富岡町は福島第2原理力発電所(爆発しなかった方)が立地するまちです。現在も全町避難中で県内県外に避難者が分散しています。また、富岡町では一つの自治体の市街地の中に、帰宅困難区域(原則立ち入り禁止、震災前人口約3割)・居住制限区域・避難指示解除準備区域(立ち入りはできるが夜間宿泊は禁止)という3区域すべてを抱えており、区域の違いが賠償・補償の違いになるため、区域の設定という政策自体が地域コミュニティの分断を生んでしまっています。
 町民にとっての生活再建や帰還の考え方は、それぞれの立場や家族の状況によって大きく異なっているとのことで、現在の復興計画では、帰還する第1の道、帰還しない第2の道の二者択一ではなく、今は判断できない・判断しないという第3の道を含め、町民のあらゆる選択肢を尊重することが示されています。
 ちなみに、震災から5年が経過し、当時幹部職員として対応にあたった職員はかなり退職しているということで、紙に残らないような経験の部分は徐々に分からなくなっていくところがあるようです。

3. 富岡町視察

郡山から磐越道、常磐道を通って、富岡町へ。原発の立地する福島県双葉郡の主要道路である常磐道と国道6号線も昨年から全線開通しています。ただし、帰宅困難区域を通過中は途中で降りることはできません。


帰宅困難区域内にあるJR常磐線の夜ノ森駅。周辺は区画整理された住宅街などもあり、多くの住民が住んでいた地区ですが、住民は帰還できない地区ということになります。空間線量で2.5マイクロシーベルト毎時、土の上で13マイクロシーベルト毎時(年間換算で50ミリシーベルトを軽く超えてます)ほどですので、私が過去に視察した地域の中でも最も高い線量を示しています。


防護服はこんな感じですが、地面に触った部分をちゃんと処理して持ち出さないことが大事です。


帰宅困難区域と居住制限区域の境ですが、住宅街の中の4mほどの道路です。地区の境で区切られるようにある程度のバッファーを取っているとのことです。この道路を挟んで隣の家と避難区域が分かれるというのが話を非常に難しくしています。


3.11の午前中に卒業式があり、その直後に避難所になり、翌12日には原発事故により町外に避難することになった富岡第2中学校の体育館です。当時の状況そのままに残っていました。避難解除された場合でも、学校の再開は、児童・生徒数の状況を見てからになるため、当面は他のまちの学校に通学することになるとのことです。


富岡町役場。復興に向けて一部の部署が役場隣の保健センターに入っています。
原発立地自治体ということもあるかと思いますが、立派な役場や公共の建物が建っています。


奥に見える煙突が福島第2原発です(外部電源がかろうじて生き残り爆発しませんでした)帰宅困難区域立ち入り後のスクリーニングは福島第2原発で受けましたが、原発敷地内は撮影禁止でした。

2年前の浪江町を視察したときと比較すると、道路の補修がなされ、街路樹の枝木が払われ、田畑の雑草も草刈りされるなど、除染作業が大きく進んでいるように見受けられました。家屋にはまだまだ地震の影響が見えますが、外から見る限りでは普通のまちに見えてしまうほどです。しかしながら、一度除染した地区でも線量が下がらないケースや、家屋の雨漏りなどで実際には住めないケースなどもあり、家屋を解体する解体除染という方法も取っているとのことでした。
上下水道のインフラ復旧、復興中核拠点の整備と、避難解除後の帰還に向け、着々と取り組んでおられますが、住民がどの程度戻るかは分からない部分があります。これは人によって帰還に対する考え方に大きな違いがあり、また、将来のまちの状況がどのように変化するのか分からない部分が多いということだと思います。

改めて現地を見てみますと、当たり前なのですが、同じ原発災害の被災地と言っても、自治体毎に全く事情が違いますし、自治体の中でも地域によって大きく状況が異なります。更に、その地域に住んでいる住民それぞれが様々な考え方を持っており、基礎自治体が自由度を持って政策をつくっていかなければいけないことの重要性を改めて感じることとなりました。

 

会津ではないので八重の桜ではありませんが、磐越道から見えたさくらです。
避難区域以外は福島県浜通りも含めて福島の観光案内にさくらの名所などが掲載されていました。
東日本大震災から5年が経過し、我々の記憶も徐々に薄くなってしまっているところもありますが、長い目で復興を支援していくことも大事なのではないでしょうか。
岩手・宮城も含めて、東日本大震災の被災地と言われている地域に、観光で良いので、 是非一度、 足を運んでみることも良いのではないしょうか。
 

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