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江別市立病院の経営問題その前史

平成30年8月25日、北海道新聞江別面にて江別市立病院が平成30年10月から一部病床50床の休止が報道されました。

その後、市立病院の経営問題に関する報道が、北海道新聞に加えて、平成30年11月22日HBC『今日ドキッ!』や『財界さっぽろ2019年1月号』と相次いでいます。
平成18年に内科医が一斉退職し経営危機に陥り、その後、経営改善に取り組んできた市立病院ですが、残念ながら再び経営危機に見舞われる事態となっています。

 

実は、市立病院の経営問題は昔から少なからず江別市の課題として取り上げられてきた経緯があります。
この記事では、江別市史と市議会議事録から簡単にこれまでの市立病院を振り返ります。

 

昭和23年2月、国立札幌病院付属江別診療所(病床20床)として開設された診療所が事の始まりです。
鉄道事情が良くなかった当時、札幌まで通うのが大変な町民のために江別町が誘致したものでした。
しかしわずか数年で、町への移管か廃止の選択を迫られます。国立診療所が閉鎖する原因は施設の貧困による赤字とのことで、スタート当初から赤字問題に直面しているのが、その後の行く末を暗示しているようです。
昭和26年、町は町議会に諮り議会は調査委員会を設置して協議、町への移管が決定されます(議会が決定しているところが興味深いです)。昭和26年4月に江別町立病院となり、その後4か年計画で病棟を新築し、病床数216、診療科7科の病院となりました。
市立病院HPの沿革によると、昭和29年7月に市政施行に伴い、市立江別国民健康保険病院と改称、昭和32年7月には市立江別総合病院と改称されています。

 

時は流れ、昭和40年代、市政上の課題として病院の累積赤字問題が取り上げられるようになります。
昭和53年には病院事業再建実施計画が策定されますが赤字解消とはならず、遂に昭和56年2月に国の指導・監督のもと再建を行う準用再建制度が適用されることとなりました。
準用再建計画による再建は昭和55年度から昭和61年度までの7年間続くことになります。計画スタート時の不良債務18億円、累積赤字22.8億円に対して、再建計画終了後に不良債務は解消できましたが、累積赤字額は9.6億円残る結果となりました。

 

その後、時代は平成に入り、市立病院の建て替えが議論に上ることとなります。

平成0年代の市立病院経営は年度によって黒字を出す年もあり、建て替え直前の平成9年度には累積赤字額は6.8億円にまで減少していました。一方、当時は江別の全ての計画が人口15万を目指した方向を向いていた時代でもありました。

平成6年に病院建て替えの基本設計が予算措置され、平成8年に着工、平成10年12月に新病院がオープン、現在の「江別市立病院」に名称も改称されることとなります。

 

100億円をかけた恐らく今現在でも江別で一番豪華な建物が建てられ、新病院には誰もが明るい未来を期待していたと思います。

 

つづく。

 


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