<< 江別市立病院の経営問題その前史 | main | 江別市立病院シンポジウムメモ2019年1月21日 >>

江別市立病院の経営問題その前夜

不良債務が再び発生し経営状態が悪化している江別市立病院ですが、今回は1998年の新病院開設から2006年の内科医総退職までを振り返ります。

参考とする資料は、市議会議事録に加え、前院長である梶井直文氏の書かれた『医療再生はこの病院・地域に学べ! 第四章 内科医ゼロから再生までの軌跡』洋泉社、平成18年の江別市立病院あり方検討委員会議事録などです。

 

1998年(平成10年)12月に建て替えにより現在の病院がオープンし、名称も市立江別総合病院から「江別市立病院」に改称されます。

 

病院建て替えに伴いそれまでまとめて「内科」と標ぼうされていた診療科が、「循環器内科」「消化器内科」などの4つの専門科目に分けられました。専門医を受診したいという患者の要望は強く、建て替え前まで1200人程度だった1日当たり外来患者数が建て替え後には一気に1600人にまで増えます。入院も満床状態が続き、1999年度から2001年度の3年間は入院外来合わせた1日当たり患者数が1900人を超え、市立病院の歴史の中でも最も多くの患者が訪れた時期となりました。当時を思い起こして、市立病院が非常に混んでいたご記憶のある方も少なからずいらっしゃるかと思います。

 

しかしながら、病院の建て替えによる内科の専門科目の標ぼうは、その後の内科医一斉退職の要因となっていきます。先ず、全体の医師数はそれほど変わらない中、各診療科が少人数体制となることで医師の負担が増えていくことになりました。外来患者数は急増していましたが、ベッド数から見ても明らかに多すぎる外来患者数を引き受けていました。また、それまで市立病院の内科医の医師派遣は北海道大学の1つの医局に頼り切っていましたが、大学の体制が変更となり1つの医局から全ての専門科目の医師を派遣することが難しくなっていく流れがありました。加えて、2004年から臨床研修医制度が始まったことで、北海道内の大学が医師を派遣できる余地が大幅に減少することになりますが、市はこれらの医療環境の変化を深刻に受け止めておりませんでした。

 

一方、経営面では患者数が増加したことで収益は上がりましたが、病院建て替えによる投資も大きく減価償却費がかさんでいたため、収支は赤字に陥ります。当初計画では建て替え後5年での収支均衡を目指していたものの、赤字は続き収支均衡の目標年度は後ろ倒しされていきました。毎年、赤字が続くと累積赤字が膨らんでいくことになり、累積赤字額30億円と新聞報道がなされ、市議会でも取り上げられます。しかしながら、減価償却前の黒字は達成できており不良債務が発生しているわけではなく、病院の運営上は支障がない状態であり、忙しく働いている現場の医師にとっては市民サイドの理解が乏しいのではないかと思える状況が発生していました。

 

このような状況の中、2005年度末に退職した医師を大学医局からの派遣で確保することができなくなります。加えて内科の専門医の中心だった医師も専門医の医局からの派遣が難しい状況になっていることなどから2006年中に開業することとなり、一気に残った医師への負担が重くなり、2006年9月末には遂に内科医がゼロとなってしまったのです。

 

華々しくオープンした新病院でしたが10年もたずに危機に陥ることとなりました。

計画当初とは大きく異なることとなった2000年代の医療環境の激しい変化に市が対応できなかったと言うことができると思います。

次回は、内科医一斉退職から総合内科医を中心とした病院として再建していく過程を取り上げます。

 

つづく。


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