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市立病院経営問題 総合内科医を育てる病院へ

2006年9月末に内科医がゼロになった市立病院、再建の道はどこにあるのか。
その後の取り組みを振り返ります。

今回も、参考とする資料は、市議会議事録に加え、前院長である梶井直文氏の書かれた『医療再生はこの病院・地域に学べ! 第四章 内科医ゼロから再生までの軌跡』洋泉社などです。

 

小児科医であり院長代行を務めていた梶井氏が院長に就任したのが2006年11月、内科医を確保するために各地を奔走する中、僻地医療を担うことを理念としている自治医科大学出身の医師から協力を得られることとなります。

 

関連病院からの医師派遣に始まり、2007年度からは阿部前副院長を始め複数名の自治医科大学出身の医師が市立病院に勤務することとなり、専門にとらわれ過ぎない診療に目を向けていくことになります。
2007年11月には札幌医大の地域医療総合医学講座との繋がりもできるようになり、総合診療の研修を行う関連病院にもなりました。

 

このような取り組みの中で、大病院とは言えない地域の中核病院では、専門医を集めるよりも総合内科医を多く集めた方がより多くの力を発揮でき幅広い診療ができるのではないかと考えるようになり、総合内科が病院再建の柱となっていきます。

 

2008年4月には総合内科を新たに診療科として標ぼうし、医師も更に確保、閉鎖していた2つの病棟が再開されました。その後、毎年のように医師は増え続けます。特に、地域医療に関心のある初期研修医や総合内科を目指す医師が集まるようになり、2011年頃には内科医退職以前の医師数を上回りました。また、2012年には栗山などへ医師を派遣するようになり、道内各地から医師派遣の要請を受けるなど、道内で一自治体病院以上の役割を発揮していくようになります。
総合内科医を中心として医師確保に成功、2013年度には経常利益を出すことができ、病院再建のモデルとして知られるようになったのでした。


このように医師確保の点では大きな成功例と言われる結果を出していましたが、市民サイドからの市立病院への理解と評価は必ずしも全てが順調とは言えない面もありました。
先ずは、世間の専門医志向が強くなる中、総合内科という診療科への理解がなかなか深まりませんでした。また、若い研修医が多く、医師の研修にも力を入れていたため、市民からみると若い医師の経験不足や医師が数年で変わることを心配する声もありました。更に、手軽に外来で見てもらいたいという希望も多く、急性期病院としての機能がなかなか市民に理解されないということもありました。
結果として、患者数の回復は想定通りには進まず、医師数から期待される病床利用率にはなかなか届かないということになっていました。


一方、経営面では常に苦しい状態が続いていました。不良債務を減らすため計画上はかなり無理と思える数字を作らざるを得ず、常に計画よりは実績が下回る収益状況となっていました。また、医師が増え収益が伸びてもその分費用も伸びるため、収支の均衡は常に難しい状況でありました。
更に、市の一般会計からの繰入金は約14億円まで増えていくことになり、基準外の繰入は決して多額な訳ではありませんでしたが、それでも病院の赤字と繰入金を問題視する声は少なからず出ておりました。


再建の取り組みは以上のような状況でしたが、民間で不採算になる医療を市としてしっかり守っていくという方向性は一定の理解を得ており、2006年以降常に市政上の大きな課題であった病院問題は2015年頃には比較的落ち着いていたものになっていました。
経営再建のモデルとまで言われた市立病院が、その後、わずか数年でまた内科医不足に陥ると予想していた人はほとんどいなかったと思われますが、危機は再燃することになります。

 

つづく

 


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