江別市議会議員 岡英彦のブログ

江別市議会議員、岡英彦のブログです。
2023/5/1より4期目の任期を迎えています。
市立病院経営問題 総合内科医を育てる病院へ
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    2006年9月末に内科医がゼロになった市立病院、再建の道はどこにあるのか。
    その後の取り組みを振り返ります。

    今回も、参考とする資料は、市議会議事録に加え、前院長である梶井直文氏の書かれた『医療再生はこの病院・地域に学べ! 第四章 内科医ゼロから再生までの軌跡』洋泉社などです。

     

    小児科医であり院長代行を務めていた梶井氏が院長に就任したのが2006年11月、内科医を確保するために各地を奔走する中、僻地医療を担うことを理念としている自治医科大学出身の医師から協力を得られることとなります。

     

    関連病院からの医師派遣に始まり、2007年度からは阿部前副院長を始め複数名の自治医科大学出身の医師が市立病院に勤務することとなり、専門にとらわれ過ぎない診療に目を向けていくことになります。
    2007年11月には札幌医大の地域医療総合医学講座との繋がりもできるようになり、総合診療の研修を行う関連病院にもなりました。

     

    このような取り組みの中で、大病院とは言えない地域の中核病院では、専門医を集めるよりも総合内科医を多く集めた方がより多くの力を発揮でき幅広い診療ができるのではないかと考えるようになり、総合内科が病院再建の柱となっていきます。

     

    2008年4月には総合内科を新たに診療科として標ぼうし、医師も更に確保、閉鎖していた2つの病棟が再開されました。その後、毎年のように医師は増え続けます。特に、地域医療に関心のある初期研修医や総合内科を目指す医師が集まるようになり、2011年頃には内科医退職以前の医師数を上回りました。また、2012年には栗山などへ医師を派遣するようになり、道内各地から医師派遣の要請を受けるなど、道内で一自治体病院以上の役割を発揮していくようになります。
    総合内科医を中心として医師確保に成功、2013年度には経常利益を出すことができ、病院再建のモデルとして知られるようになったのでした。


    このように医師確保の点では大きな成功例と言われる結果を出していましたが、市民サイドからの市立病院への理解と評価は必ずしも全てが順調とは言えない面もありました。
    先ずは、世間の専門医志向が強くなる中、総合内科という診療科への理解がなかなか深まりませんでした。また、若い研修医が多く、医師の研修にも力を入れていたため、市民からみると若い医師の経験不足や医師が数年で変わることを心配する声もありました。更に、手軽に外来で見てもらいたいという希望も多く、急性期病院としての機能がなかなか市民に理解されないということもありました。
    結果として、患者数の回復は想定通りには進まず、医師数から期待される病床利用率にはなかなか届かないということになっていました。


    一方、経営面では常に苦しい状態が続いていました。不良債務を減らすため計画上はかなり無理と思える数字を作らざるを得ず、常に計画よりは実績が下回る収益状況となっていました。また、医師が増え収益が伸びてもその分費用も伸びるため、収支の均衡は常に難しい状況でありました。
    更に、市の一般会計からの繰入金は約14億円まで増えていくことになり、基準外の繰入は決して多額な訳ではありませんでしたが、それでも病院の赤字と繰入金を問題視する声は少なからず出ておりました。


    再建の取り組みは以上のような状況でしたが、民間で不採算になる医療を市としてしっかり守っていくという方向性は一定の理解を得ており、2006年以降常に市政上の大きな課題であった病院問題は2015年頃には比較的落ち着いていたものになっていました。
    経営再建のモデルとまで言われた市立病院が、その後、わずか数年でまた内科医不足に陥ると予想していた人はほとんどいなかったと思われますが、危機は再燃することになります。

     

    つづく

     

    | 岡英彦プロフィール | 市立病院経営問題 | 10:00 | comments(0) | trackbacks(0)
    江別市立病院シンポジウムメモ2019年1月21日
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      2019年(平成31年)1月21日に江別市立病院のシンポジウムが開かれ参加してきましたので内容を簡単にメモしておきます。

      あくまで岡のメモした内容と記憶に基づくもので、発言者の発言の内容が一字一句正確な訳ではない点はご理解ください。

       

      「江別市立病院シンポジウム」

      〜今後の江別市の地域医療を守るために市立病院は何をしていくか〜

      出席者

      江別市立病院経営健全化評価委員長 西澤寛俊氏、同委員 樋口春美氏

      江別市立病院院長 富山光広氏、三好市長

       

      ※ 江別市立病院経営健全化評価委員会は2008年に設置された市立病院の経営状況についてアドバイスを行う機関です。年に2から3回開催されています。

       

      1. 市立病院の現状報告

      司会の病院事務長より配布資料に基づいての説明。市の年齢別人口割合の推移と将来予測、市内医療機関の診療科目、市立病院医師数の状況、現在の診療収益の状況、病院事業収益と費用・経常収支比率の推移などについて説明がありました。

       

      2. 出席者からの意見

      富山院長:地域医療を守るために市民からどのような意見・要望があるのかを伺い、それを実現するために市立病院が何をすればよいかを考えていきたい。市内医療機関との役割分担も考えていかなくてはいけない。2040年に高齢人口がピークを迎えたときに、札幌の医療機関が急性期の患者の全てを受け入れられない状況となるのではないかと危惧している。

       

      西澤委員長:医師の働き方改革が求められる時代になっており、より多くの医師配置が必要となるが、地方ではますます医師不足が進むと考えられる。救急・小児・周産期医療が公立病院に求められるが、医師確保は更に大変になっていく。

       

      樋口委員:これからの時代には地域で活動する看護師の大幅増が必要である。市立病院は病院と在宅をつなぐ看護に行うべく努力している。

       

      三好市長:市立病院は不採算医療に関わる対応が必要である。市の支援と経営安定のどちらも重要である。2040年の医療需要を見据え、市立病院がどのような体制をつくるかが大事である。

       

      3.質疑応答

      Q1:現在の赤字続きの経営状況についての評価委員の意見は?

      西澤委員長:公立病院は無理に黒字である必要はない。今後の医療需要にどう対応するか、公立病院として市民の健康をどう守っていくかの視点が大事である。赤字額の数字だけではないことを理解して欲しい。

       

      Q2:これまで策定した改革プラン中の計画や評価委員会からの提言を実施していないのでは?

      三好市長:先ずは医師確保を最優先に実行してきた。改革プランにあった経営形態見直しについても検討しているが、負債の整理が必要など慎重な対応が必要で今現在では難しく、結論には至っていない。

      西澤委員長:医師確保は常に課題だが原因は市立病院ではない。確かに全て上手くいっているわけではないが、一部やっている部分はあり、職員は努力している。

       

      Q3:国保のレセプト分析を行い市民がどの医療機関に通っているなどの調査を行ったらどうか?

      三好市長:データの分析が必要との意見はその通りであり、どういう形でできるか調べる。

       

      Q4:診療科別収支の資料がなぜ公開されないのか?

      富山院長:不採算を担っている公立病院の意味を考えると公開することに危惧を感じている。収支だけを見られると地域医療はもたない。医師のモチベーションにも影響する。

       

      Q5:市立病院のあり方について今後も市民の声を聴く体制づくりは?

      三好市長:今回のような場を設けて良かったという声を聴いているので、どのような形でできるか検討していきたい。

       

      その他意見

      ・医師確保が難しいと言われても一般市民は分からない。今の経営状況だと市立病院を残すか残さないかの判断も必要。

      ・赤字経営の先送りをしていると問題が大きくなるだけである。夕張の財政破綻の教訓を活かすべき。

      ・人事のために医師が辞めているという噂がある。院内内部の噂のことは分からないが、なぜ医師が辞めるのかを重点に考えてほしい。地域医療を守る前に市立病院を守る必要がある。現場の医師にプライドを持ってもらい、魅力ある病院になって欲しい。

      ・地元の開業医だが、市立病院への不信感を持つような事例があった。市民が赤字を納得していないのも市立病院への信頼が不足しているからである。現場の医師の努力不足を感じる。

      ・札幌の看護師だが、市立病院は当別や南空知からの患者も受け入れている。江別で救急を受けられる体制を残して欲しい。

       

      4. 出席者まとめコメント

      院長:内科医師以外は充実してきている部分があるが、内科医師の確保にこれからも努めていく。

      三好市長:様々なご意見を頂いたので、どのような形で今後進めていくべきか検討していきたい。

       

       

      感想:

      このような市民に対する説明会は質疑応答で紛糾するケースも多いですが、厳しい意見は出ていたものの、声を荒げるような場面は少なく、比較的、冷静に議論が出来ていたように感じました(当たり前ですがどのような場面でも相手を尊重して議論することが大事です)。

      不採算の地域医療を守る、将来の医療需要に備えるということで直近の経営状態ではない部分の議論をしたい出席者側と、目の前の経営問題をどうするのかということを議論したい多くの参加者側とで若干意識のズレがありました。

      専門医を充実させる総合病院としても上手くいかず、総合内科医を育てる病院としても先行きが不透明な現在の状況で、市立病院の特色として今後どのような形を打ち出すのか、また、現状の状態が続いた場合どこまで市の財政上耐えられるか、医師確保が上手くいかない場合の代替プランなどについて聞きたかったところではありますが、そこまでの議論にはなりませんでした。

      また、累積赤字の金額が注目されがちですが、公立病院の場合、経営上より重要なのは不良債務の金額である点を議論の前提として理解いただく必要があります(累積赤字は自己資本金と相殺できるが、不良債務は手持ちの現金の不足なので)。

       

      | 岡英彦プロフィール | 市立病院経営問題 | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0)
      江別市立病院の経営問題その前夜
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        不良債務が再び発生し経営状態が悪化している江別市立病院ですが、今回は1998年の新病院開設から2006年の内科医総退職までを振り返ります。

        参考とする資料は、市議会議事録に加え、前院長である梶井直文氏の書かれた『医療再生はこの病院・地域に学べ! 第四章 内科医ゼロから再生までの軌跡』洋泉社、平成18年の江別市立病院あり方検討委員会議事録などです。

         

        1998年(平成10年)12月に建て替えにより現在の病院がオープンし、名称も市立江別総合病院から「江別市立病院」に改称されます。

         

        病院建て替えに伴いそれまでまとめて「内科」と標ぼうされていた診療科が、「循環器内科」「消化器内科」などの4つの専門科目に分けられました。専門医を受診したいという患者の要望は強く、建て替え前まで1200人程度だった1日当たり外来患者数が建て替え後には一気に1600人にまで増えます。入院も満床状態が続き、1999年度から2001年度の3年間は入院外来合わせた1日当たり患者数が1900人を超え、市立病院の歴史の中でも最も多くの患者が訪れた時期となりました。当時を思い起こして、市立病院が非常に混んでいたご記憶のある方も少なからずいらっしゃるかと思います。

         

        しかしながら、病院の建て替えによる内科の専門科目の標ぼうは、その後の内科医一斉退職の要因となっていきます。先ず、全体の医師数はそれほど変わらない中、各診療科が少人数体制となることで医師の負担が増えていくことになりました。外来患者数は急増していましたが、ベッド数から見ても明らかに多すぎる外来患者数を引き受けていました。また、それまで市立病院の内科医の医師派遣は北海道大学の1つの医局に頼り切っていましたが、大学の体制が変更となり1つの医局から全ての専門科目の医師を派遣することが難しくなっていく流れがありました。加えて、2004年から臨床研修医制度が始まったことで、北海道内の大学が医師を派遣できる余地が大幅に減少することになりますが、市はこれらの医療環境の変化を深刻に受け止めておりませんでした。

         

        一方、経営面では患者数が増加したことで収益は上がりましたが、病院建て替えによる投資も大きく減価償却費がかさんでいたため、収支は赤字に陥ります。当初計画では建て替え後5年での収支均衡を目指していたものの、赤字は続き収支均衡の目標年度は後ろ倒しされていきました。毎年、赤字が続くと累積赤字が膨らんでいくことになり、累積赤字額30億円と新聞報道がなされ、市議会でも取り上げられます。しかしながら、減価償却前の黒字は達成できており不良債務が発生しているわけではなく、病院の運営上は支障がない状態であり、忙しく働いている現場の医師にとっては市民サイドの理解が乏しいのではないかと思える状況が発生していました。

         

        このような状況の中、2005年度末に退職した医師を大学医局からの派遣で確保することができなくなります。加えて内科の専門医の中心だった医師も専門医の医局からの派遣が難しい状況になっていることなどから2006年中に開業することとなり、一気に残った医師への負担が重くなり、2006年9月末には遂に内科医がゼロとなってしまったのです。

         

        華々しくオープンした新病院でしたが10年もたずに危機に陥ることとなりました。

        計画当初とは大きく異なることとなった2000年代の医療環境の激しい変化に市が対応できなかったと言うことができると思います。

        次回は、内科医一斉退職から総合内科医を中心とした病院として再建していく過程を取り上げます。

         

        つづく。

        | 岡英彦プロフィール | 市立病院経営問題 | 10:25 | - | trackbacks(0)

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